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防衛大学校21期 堀田源治君初体験航海 |
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元、防大21期海上要員を熱望していた堀田君が、待望の護衛艦体験航海を実現しました。 異なる道に進んだ後も、海上自衛隊護衛艦の夢が忘れられなかったところ、運よく海上自衛隊護衛艦に搭乗できる機会に恵まれました。 例年、5月27日 日本海海戦の日に福岡市筥崎宮が実施する「海上慰霊祭」に参加する護衛艦に搭乗することができ、福岡地本の多大のご支援にも感謝しておりました。 21期九州同期会 事務局 山下英輔 拝 |
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防衛大学校21期 堀田源治君防大課外講演 |
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本資料は、防大21期で入校し、その後九州工業大学を卒業されて現在、有明工業高等専門学校で勤務されている堀田源治君が○。○防大で課外講演をしたときの風景及び小原台クラブ会報に掲載された講演内容等です。 |
私も小原台育ち 工学倫理の実践成功条件は真実、勇気、信念 有明高等工業専門学校 教授(機械工学科) 堀田源治 |
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産業界から教育界に 私は、現在有明工業高等専門学校で機械設計関連科目を教える傍ら、福岡県、大分県の国立大学法人で「工学倫理」を教えております。今回は工学倫理について防衛大学との思い出の中で少し、お話をさせて頂きたいと思います。 現在でも私が防大時代に毎日のように先輩学生から言われた「結果を出せ」という言葉は座右の銘といってもいいほどのものとなっております。結局私は他大学(九州工業大学)を昭和54年に卒業しましたが、当時は第2次オイルショックの影響で就職難であり、地元のローカル企業に就職、その会社で覚えた機械設計の腕を頼り、昭和60年にメイテックという技術者派遣業に転職しました。そこで得た国家資格を活かして平成7年には鞄鉄エレックスという企業に入り、営業〜設計〜工事という業務を経験し、技術士の本試験にも合格しました。そして平成20年から現職に就いております。現在は、防大の対番学生制度を高専教育にも取り入れられないか、という研究もしております。 このように変わった経歴ですが、私が工学倫理を教えることになったのも、九州工業大学が行った現役企業人講師(非常勤)の募集に応じたこときっかけでした。これも企業の先輩からの半ば強制で応募させられ、一回きりのつもりでしたが、「日や場所が改まれば、その時々の別の目標を持ち、新たな結果を出せ」との防大時代の教えが蘇ってきて、工学倫理について勉強するうちに、いつの間にか産業界から教育界に来てしまっていた、というところです。 |
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技術者が持つべき“社会への責任” さて、工学倫理とは何でしょうか。これを簡単に説明するのは、実は難しいのです(大学工学部の2年生には、半年の講義を聴いて理解して貰っています)。工学倫理は技術者倫理とも言い、この方がイメージを掴み易いかもしれません。 よく「工学倫理とは、『技術者が悪事をしない・させない・見逃さないこと』でしょう」と言われます。確かに間違ってはおりません。しかし、この定義ならば社会で真面目に生活している学生や技術者に対して今更、道徳・良心・モラルを説くのでしょうか。また、企業不祥事防止として考えるならば、技術者よりもむしろ不祥事を起こした経営者や管理者に対してこそ倫理が必要ではないでしょうか。実際、工学倫理を上の意味に解釈されてしまうと、不用論(社会人に対しては釈迦に説法)や建前論(政治や釈明に使う飾り文句)、はたまた宗教論(神々の教える天道・戒律)などが出てきます。実際、私は企業での工学倫理講習においてある従業員から「俺たちが何悪い事をしたというのだ」と詰め寄られたこともあります。 もし工学倫理が、『技術者が悪事をしない・させない・見逃さないこと』であるならば、1912年に遭難し約1500人の死者を出した英国タイタニック号において、法律違反ではないという理由で乗船者の1/3の数の救命ボートしか備えなかった船舶技術者に対しては何の咎めもないのでしょうか。2人の死亡者、1000人の被爆者を出した1999年茨城県東海村でのJCOによる臨海事故では、管理者技術者も作業者も既存核燃料設備の危険性については何も知らず、むしろ誠意による設備改善が事故を招いた、という事実は、免責理由になるでしょうか。 2つの事件を技術者の善悪から考えてみると豪華客船建造は当時の英国民の富裕ニーズに沿うものであり、核燃料製造努力は我が国エネルギ−供給政策にとって必須のものであったことから、両事件とも国民欲求に技術者が努力で答える形となっており、どこにも悪意は見えてきません。 船舶やエネルギ−などの市場の要求に応えることは、企業人としては当然のことであり、これは技術者にとって“会社への責任”でもあり、技術者以外の職業人にも当てはまることです。しかし、職業人が持つべき責任には実はもう一つあります。 自分達の“商売道具”である“技術”の社会的影響度(失敗=沈没や被爆)を肝に銘じ、社会の安定・安全・安心を当然最優先すること、これは所属組織や利害関係を超えて技術者という職業人が持つべき“社会への責任”です。 即ち、技術者は“会社への責任”と“社会への責任”の両方を持っており、常に後者を優先させる“責任”もあります。 両事件においては、技術者には悪意無く“会社への責任”も全うした。しかし“社会への責任”が欠落した。このことが多くの犠牲者を出す事になったと言ってよいでしょう。 |
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“会社への責任”との両立探る ここで、工学倫理とは何か、ということを再度考えてみましょう。工学倫理は技術者が『悪事をしない・させない・見逃さないこと』ことはもちろんですがそれ以外に社会への責任を行使することを加える必要があります。そこで工学倫理とは、『技術者が、結果が社会の不利益となるような技術行為をしない・させない・見逃さないこと』と言うことができます。 しかし工学倫理をこのように言い換えると、それを実践することは、随分難しいものになります。というのは、技術者は企業のサラリーマンである以上、利益至上主義の中で“社会への責任”より“会社への責任”の行使を余儀なくされることも多いはずです。雪印食品の牛肉偽装事件で逮捕された課長へ朝日新聞が行ったインタビューへの「職場の力関係の中では、個人の倫理観より上司の命令に従わざるを得なかった」との返答には我々も頷けるところがあります。 “会社への責任”はサラリーマンとしては当然持っているべき責任で、時々“忠誠心”と表現されます。しかし、この場合の“忠誠心”は利害関係の中での従順心を美化表現したとも解されます。新渡戸稲造の名著「武士道」によれば、本来の“忠誠心”とは神道の教えから始まるもので個人益よりも国益、社会益を優先する人道的なものです。新渡戸稲造はこの“忠誠心”が“従”ではなく、“義”と繋がることで形成された特有の倫理体系が「武士道」である、と説いています。また、同書によると、武士道の目指すところは善行よりも忠義であり、武士は国の利に適うことが自分の名誉になる、という行動規範を持っていたそうです。 工学倫理は技術者に課せられた特有の倫理観でもあり、善悪以外にも社会の安全や環境保護など国益、社会益を優先する責任を要求するものである以上、武士道に通じるところがある、と思われます。そこで私は工学倫理を“技術者魂”と呼ぶこともあります。“技術者魂”というと単にフロンティア精神を思い浮かべられるかもしれません。しかし、この場合にはもう少し含みを持っています。獅子文六は「海軍」において、(技術の術)は謡曲や囲碁などの“術”ではなく、“精神”である、述べています。また、九州工業大学での教育理念においては、養成すべきは“技術に堪能なる士君子”であるとしています。そこで“技術者魂”とは、技術者の精神=道や士に繋がるものを意味するものであり、技術者が技術行為の危険性と公衆への影響を認識して、利害関係や力関係という障害と闘いながら、公衆の安全と安心要求に応えるものづくりを実現する原動力となるもの−工学倫理−と言えます。 |
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工学倫理の日米での実践例 −実践・行動する−、これが工学倫理特有の命題であり、この対処の一つとして若年層のうちから素養を育む教育が行われています。JABEE認定基準となっていることもあり、推定で全国の高専や大学工学系学部の約70%以上が工学倫理をカリキュラムに取り入れております。また、教科書としても多くの良書が出版されるようになりました。これらの教科書に載っている工学倫理の実践例を一つご紹介しましょう。 米国モートン・サイオコール社の技術者ロジャー・ボイジョリーは、スペースシャトル・チャレンジャー号ブースターロケットの燃料漏れを防止する責任者でした。1986年1月にチャレンジャー号の発射が決まりましたが、彼は、厳冬期の打上では燃料漏れを防ぐためのゴム製シールが硬くなって密封できず、スペースシャトルが飛行中に炎上する危険性を主張しました。発射を強行しようとする会社やNASAに対して、ロジャー・ボイジョリーはデータを示し、声を限りに危険性と発射延期を訴えました。しかし発射は予定通り強行され、チャレンジャー号は打上げ70秒後に大爆発・墜落し、乗員7名全員が死亡するという惨事になりました。その後、事故調査委員会や裁判においてロジャー・ボイジョリーは、解雇をほのめかす会社からの圧力に屈せず真実を証言し続け、遂に米国事故調査委員会(ロジャース委員会)は爆発の原因として彼の説を認める結果になりました。 モートン・サイオコール社は打上げをNASAから請負う会社であり、発射中止により巨大な損害が発生することを恐れていました。発射が迫る中でロジャー・ボイジョリーは経営層から「今は技術者の帽子*を脱ぐんだ。そして経営者の帽子をかぶれ」と言われ続けましたが、「技術者の帽子は事実と義務の証であり、私の誇りでもある。」と一貫して主張を退けませんでした。この例においては、技術者魂は“技術者の帽子”として表現されています。 我が国においても、自動車排ガスから住民を守るため、撤去を強要する産業界から命をかけて「東京都公害研究所」の看板を守り抜き、遂に排ガス規制を実現した東京都環境科学研究所の飯田靖雄や、社長の兄弟でもあり取締役でありながら隠匿工作をする周囲を顧みず、カネミ油症の原因として自社の過失を公表し主張した、カネミ倉庫の加藤八千代などの例が有名です。彼らには“会社への責任”を優先して自身の穏やかで豊かな将来を選ぶ道もあったでしょう。しかし、彼らは科学者としての自覚(加藤八千代談)から“社会への責任”を選んだわけです。 以上のお話から工学倫理の実践とは、技術者が自身の行ったことの責任のために戦い抜くものと言っても良く、成功には真実、勇気、信念が条件になります。思い起こすと、これらは防大時代に断郊や総短艇などの集団競技において度々やかましく言われた事に通じると私は考えます。「自分の行動の影響を考えること」温かい先輩学生の声が今でも耳の奥に残っています。 |
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(ほった げんじ 略歴) |
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